
アルミ鍋うどん生活から学んだ、貯め方増やし方より大事な「お金の使い方」
日本証券業協会がnoteで「 #お金について考えていること 」コンテストを開催しています。これは当社としては見逃せない!ということで、代表取締役社長や執行役員に「お金」に関する記事を書いていただきました。今回は立花さんの記事です。
立花 慶寛:インフラ構築や基幹システムのPG/SEとして下地を積み、2010年に金融業界を専門としたSIerに転職。OTCデリバティブ商品を取り扱う市場系システムの提案や設計などの経験を積み2018年外貨ex byGMOに入社。ディーリングシステム開発プロジェクトPMなどを経て、現在はシステム部門で執行役員。
社会人になって以降、宵越しの銭は持たない主義を貫いて早15年が経過しました。この歳になっても自分の手で貯金ができない男は、『お金』を貯める事自体放棄してしまいました。
そんな楽天家の哀れで切なくも、幸せなお金の話しをしてみようと思います。
アルミ鍋の鍋焼きうどんをガスなしで食べる20歳の日々

「方向性の違い」を怒鳴り散らしバンドを去るボーカルさながら大学を中退した私は、小売業で生計を立てていた。
しかしなかなか軌道に乗らず『我慢』が苦手な私は実入りがあると3日程度で使い果たしてしまう。月末の収入はそのままだと支払いで引き落とされてしまうため、口座から全額引き出すことから始まり、飲む、遊ぶ…で散財。
家賃は滞納、携帯代も払えず、ガスも止まるというロクでもない生活を送っていた。
月の大半はお金がない。
そんな時は当時の彼女(現在の妻)からお恵み頂いた「アルミ鍋の鍋焼きうどん」を、電気ポットで沸かせたお湯を注いで食べていた。ガスが止まっていて調理ができないからだ。
紐男のような生活だが私の場合「(紐のような)うどん」。うどん男である。和風であり古風、どこか奥ゆかしさを感じさせる。
月初3日間はとても楽しいが残りは地獄。毎月「節約する」と誓うも、地獄を耐えた後の楽しさは『ハッピー〇ーンの粉』のような中毒性がある。
「来月またがんばろう」とつぶやき、煮え切らずぱさぱさしたうどんをすすって過ごす哀れな20歳の日々であった。
節約も貯蓄もできないならどうすればいいか
そんな毎日が続き私と彼女は「12ヵ月も連続でアルミ鍋うどん生活しているのだから、節約の才能も、貯蓄の才能もないのでは」と気づいた。
2人にとっては大発見で、人生の中でもベストディスカバリー賞だと確信している。どっちもできないなら、もう諦めて『楽しい瞬間』を目指してそれまでは耐えようというトンデモ発想に行き着いた。
しかし人間は欲深い生き物、楽しい瞬間が人生の1/10しかないとやはり耐えられない。
そこで次に考えたのは『楽しい瞬間』ではなく『楽しい時間』にするにはどうすればいいか、である。例えば「出かける回数を減らし、高校時代好きだったアーティストの中古アルバムを買う」みたいな感じだ。お出かけは一瞬で終わるが、アルバムなら何度でも聞ける。好きなアーティストの音楽は何度聞いても楽しめる。
些細なことだが、私の「お金の使い方革命(マネーユージングレボリューション)」はここから始まったのだと思う。
何のために使うのかを考え始めた25歳の革命
『楽しい時間』を得るため頑張ってきた私は、ある程度経済的にも余裕が出てきた。そんな中「あれ?あの時何をご褒美にしていたんだろう?」と考える事が増え、初老の訪れを感じ始めた。
今考えれば「楽しさ」が薄っぺらいものだったのだと思う。
そんな私はまた「お金をどう使うか?」と悩み始めた。当時の私は飲み会があまり好きではなく、それよりこたつでポテチを貪りながらゲームをしたい人間だった。人付き合いはあまり得意ではなく、友達も少ない(一緒にポテチを食べさせられている妻はいる)。
そんな私だが、とある日、結婚式を振り返っていて閃いた。
人は体験を共有することでかけがえのないものに変換していく。
共感性こそが人生において大事なものなのだ。
私たちの式は、船上で馬の被り物をして誓いを立て、参列してくれた全員でディズニーシーに行くという荘厳(?)なものだったが、思い返すと頭の中に鮮明によみがえる光景があった。
馬頭の被り物をして誓いを立てる私。
馬頭の被り物をしてディズニーシーのキャストに怒られる私。
すごく楽しそうに、嬉しそうに笑っていた、妻、両親、友達。
この体験を話す時、こうして書いている時、これまで以上に「キラキラ」輝いているように感じる。
どれもかけがえのない経験で、絶対に私の心から消えないものとなった。こうやって共感して昇華できる「楽しい経験」を、お金を使って増やしていこう。そう感じたことが25歳の時の革命であった。
お金を紙屑にしたくない!35歳の革命

体験を更に重要視するようになったのは30代に入ってからだ。
様々な体験をしてきたが、次第に「何をすれば楽しいかがわからない」状況になっていく。つまり「飽き」である。同じような経験が続くと新鮮さが薄れ、費やしたお金の価値まで薄れたように感じることが増えた。
「これはまずい。超お金安。体験の価値がナイアガラ。」
もしこれが続いていたら福沢諭吉さんが鼻水まみれでごみ箱にポイされてしまうような未来が待っていたかもしれない。福沢諭吉さんで鼻チーンも貴重な体験かもしれないが、私はそんなことしたくない。
25歳の革命では「楽しい時間」を「楽しい経験」に進化させていたが、同じ経験は一度目程の「キラキラ」は得られない…。後に続くどころかしぼんでいく。先の人生に何も繋がっておらず、価値が低下していっているのだ。では人生に繋がっていくお金の使い方とは何か。
人によって違うと思うが私の場合、継続的に取り組める何かをお金で得ることこそ『楽しい人生』に近づくことだと考え、一つの解が『永続的に楽しめる趣味』にお金を投じるというものだった。
例えば私はアクセサリ―を作り妻や友達にプレゼントすることが好きだ。貰った方は迷惑かもしれないが、私の趣味なのでそれは知ったことではない。
他にもカメラを始めてみた。思い入れの強い風景を写真に残し、当時感じたことを思い出したりする。
妄想と回想にふける…初老を通り超して隠居老人だろうか。
これらの趣味はいつも違った楽しみ方や、上達した実感、新たな発見など新鮮な経験を何度も提供してくれており、人生を豊かにしてくれている。
これらの話題をもとに人と会話することで「楽しい経験」が増え、更に豊かになっていくというおまけもついていた。
この豊かな経験を原動力に、また仕事を頑張ろうと思える。お金は使い方次第でその額面以上の価値を生み出すのだ。
貯め方、増やし方より大事な「使い方」
お金は、増やしたところで使わなければチリ紙だ。何のために増やすのか。生活のため?もう一歩踏み込んでみるのはどうだろうか。
私の場合『節約・貯蓄できない』がスタートだったが、お金と向き合うきっかけは何でもいい。私の拙い文章を読んだからでも、友達と飲みに行って楽しかったからでも。
自分は何を楽しいと感じ、何があれば幸せなのか。それを得るためにお金をどのように使えばいいのかを考えてみてほしい。
そこで得られた答えは、お金を貯めるより、増やすより、きっと大切なことだと私は思う。
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